さよなら僕らのwell-being。幸福と手を繋ぐ資本主義のダーウィニズム

「お金が欲しい」そう考えることは、よくあるのではないのでしょうか。そのお金が欲しいという欲望は人類の創世記からその本能に刻まれ、我々の生存戦略上必要な機能として存在していました。しかし、その「お金が欲しい」という欲望は我々を幸福にしているのでしょうか?今回はそんなウェルビーイングについてのお話し、少し詳しく掘り下げていきます。

目次

人々は何故お金を求めるのか?

人々はお金を求めてきました。日本人のGDPは1960年に443.1億ドル そして現在(2019年)は5.082兆ドルとおよそ114倍上昇しています。このお金を求めるという性は人間の生存戦略上必要なモノなのです。生物学者であるチャールズ・ダーウィンが唱えた自然淘汰説の中に「最適者生存」というものがあります。

生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである

チャールズ・ダーウィン

例えば、あなたの近くの公園にA・ B・ Cという3つの生物がいたとしましょう。公園の中でその生物たちが獲れる食べ物Zには限度があり、100匹を超え始めたところから食べ物を平等に食べることができなくなってしまいます。この時この公園に合計150匹の生物A・B・Cがいる場合には、生き残るための競争が起こります。生き残るためには150匹の中でも優位な状態にならなければなりません。そうでなければ食事はできず、自身の生存、そしてその子孫の反映を確保することができないからです。150匹は競争を繰り返し最終的に生存する環境に適応した生物100匹になります

この原則は人間にも当てはめることができ、個人が保有する資産(お金)は生存を確保する上で必要なものとなっています。資産があればモノ/コトを交換できる可能性が上がり選択の数が増え、その質は高まります。食事/移住空間/テクノロジーetcは予算をかければかけるほど最も良い物と貨幣を交換することが可能です。

コロナ禍では、より想像しやすいかも知れません。コロナ禍という環境下において生き延びるための選択の数・質があるのは資産を有する者です。ある人は感染拡大地域から抜け出し地方での暮らしをする事ができたり、自身の家に業者を招いて除菌することができたりと、コロナウィルスに感染しにくい最善な環境へ適応することができます。しかし資産を持たない者は、選択することに限りが生まれてしまいます。

なので、人々が「お金が欲しい」と思う欲望は生物として生存するために必要な情動とも言い換えることができるでしょう。我々がお金を求めるのは決して間違えではなく、デフォルトとして刻まれている本姓なのです。

お金のような人間の生存戦略上必要なモノは現代に至ると住む場所や着る服そして学校などにも及びます。そのような財産のことを言及したある学者がいました。

「地位財」と「非地位財」を提唱した経済学者

コーネル大学経済学教授ロバート・H・フランク氏は「幸せとお金の経済学」の中で地位財・非地位財という視点を展開しています。地位財とは他者と比較可能な価値のことで、所得・社会的地位・物的財産(服/住居/食事etc)・教育のようなものを言います。それに対して非地位材とは、個人の中で価値があり生存戦略上必要ではないが安心安全のためには必要であるような財のことで、自身の健康や友人・家族・職場の仲間などから得れる帰属意識などが項目にあたります。

しかしこの地位財、幸福の持続性という観点を採用すると、地位財の方が持続性が低い結果に終わるのです。

例をあげましょう。地位財の場合、あなたが高級ブランド品を買ったとしましょう。職場の中ではそれを身につけるだけで自身の地位をマウントできるかもしれません。しかしある日突然、自身の持っている高級ブランド品よりも高価なものを見につけた他者の到来により、そのブランド品を身につける幸福度は急降下します。このように地位財は短期的な幸福に止まる特徴があります。

一方、非地位財で例をあげると、あなたが家族とキャンプに行き、ともに1日を過ごしたとしましょう。ともにテントをはる作業、ともに炊き出しをする作業、それらの体験は家族同士の記憶の中に「心地よい体験」として刻まれ、家族の絆を深めてくれる可能性があります。また、年月が経ちあなたが歳をとり、その日に撮ったアルバムを見返し「心地よい体験」が記憶から掘り起こされれば、味わった経験から再起され幸福感が漂います。と言うように幸福感が持続性をもつという特徴があります。

地位財を求めすぎることがbad -beingの連鎖を引き起こす

生存的に優位な状態を取ろうとして地位財を得る努力をすることは間違いではありませんが。非地位財とのバランスをうまくコントロールすることができないと、持続性のある幸福感は低くなってしまうので、さらに劣等感を埋めるために所得・教育・社会的地位・物的資産の追求を行ってしまうという無限ループに陥ってしまう可能性があります。

プリストン大学名誉教授のダニエル・カーネマン氏は、ギャラップ社の世界幸福度調査の指標を利用し米国民の年収と幸福について調べました。「生活満足度」に関しては年収と比例して増大する傾向があることに対して「感情的幸福度」は年収7500ドルまでは上昇し年収7500ドルを超えたあたりから感情的幸福度が減少するという報告をしています。日本円に換算すると年収750万円から感情的幸福度は頭打ちになるというのです。また内閣府の調査でも似たようなことが明らかになっています。

出典/内閣府・満足度及び生活の質に関する調査

上記のデーターによれば日本人は年収3000万円以上〜5000万円未満で生活満足度は頭打ちになります。ちなみにこの年収は所得税・住民税等を支払った後に世帯の手元に残る可処分所得を指標としています。グラフを見て面白いのは700万円〜1000万円の層の人と1億円以上の層の人を比べた際に1億円以上の人の満足度が低いという点ですよね。

地位財(所得)の追求による幸福度は、あるところで頭打ちになることは確からしい事実のようです。実際に日本全体について考えた際にも同様な事実が明らかになっています。

世界と比較した日本のウェルビーイング

国際比較した際に我が国日本の状態はどのようなものかご存知でしょうか。米国ギャラップ社がまとめている世界幸福度調査の最新版の中で日本は149か国中56位となっています。全世界から見たら「中の上」である水準ですが、先進国という範囲の中で見ていくと日本は33番目ととても低い水準にあります。

順位(幸福度)
日本56位
アメリカ19位
中国84位
韓国62位
フィンランド1位
デンマーク2位
スイス3位
アイスランド4位
出典:世界幸福度調査

お隣の国、韓国や中国と比較すると高い水準にはあるようですが、北欧の国と比べるととても低い水準にあるようですね。

このようなデーターもあります。日本の一人当たりの実質GDPは右肩上がりに上がり、経済的には豊かな状態になっているものの個人が感じる生活の質は戦後とほぼ変わらない傾向にあるのです、以下の資料は慶應義塾大学大学院で「幸福学」を研究している前野隆司氏の著書「幸福のメカニズム」15項の中に記載されているグラフです。とてもわかりやすいので以下に掲載させていただきます。

出典:前野隆司(2013)「幸福のメカニズム」15項 株式会社講談社

経済は成長したが個人の満足度はさほど変わらないという現象は、経済的な成長が日本人を幸福にしているのかを疑う根拠の一つになり得そうです。デフレの影響で様々なものが安価に購入することができ、暮らしの安心は担保されているようには感じます。しかしその一方で富を持つ人、富を持たない人の差を激しくし相対的な格差を拡大させています。また、先ほどの世界幸福度調査のランキングと照合すると日本よりもGDPが低い国(フィンランド・デンマーク・スイスetc)が日本よりも上位のランクを占めています。ちなみに日本のGDPは3位、一人当たりのGDPは20位です。1960年代と比較して経済的には裕福になったのに生活満足度が上がらないなんて、なんか寂しいですね。

またGDPのような経済指標以外の数値にも目を向けていきましょう。平均寿命も戦後から右肩上がりに上昇しています。厚生労働省のデーターを参照すると1950年男性の平均寿命は63.60歳、女性の平均寿命は67.75歳なのに対して2019年では男性が81.41歳、女性が87.45歳と約20歳近くも上昇しているのです。やっぱり日本の医学の制度はしっかりしていますね!しかし前述したように生活における満足度は上昇していないんですね。命の長さは延長されたけど、その質はあんまり変わらないなんてなんか寂しいですよね。

出典:厚生労働省

経済的にも物質的にも豊かになってるけど、生活の質、人生の質は戦後とそこまで変わっていないというのが僕たちの現状のようです。このことが意味することは物質的・経済的な過剰な追求はもう人々の幸福(ウェルビーイング)に貢献しないという事実なのではないでしょうか?

お金を稼げること、これはとても素晴らしいことだと思いますが、その過剰な追求は幸福を寄せ付けない結果につながる可能性もあるかも知れません。

ではどのようにすれば良いのか?皆さんに提案したいのは、非地位財を明確にすること、つまりは他者との間に生まれる相対的価値ではなく自分自身の固有の価値を見出していくことです。自分自身はどのような行動をする時に没頭するのか、誰と過ごすときに安心感を感じるのか、自身の認識が曖昧なままだと、地位財の追求に対するブレーキが掛からなくなってしまいます。

あなたはウェルビーイング?「幸福」の要因と構成

自分自身のウェルビーイング(幸福)についてですがどのような要因で構成されるのかはご存知でしょうか?実は以下のような要因で構成されています。

個人-内個人-間超越的
要因ポジティブな感情
活力
動機づけ
楽観性
情緒的安定性
心理的抵抗性・回復力
没頭
マインドフルネス
フロー
自己への気づき
自尊心
自己への思いやり
自律性
達成感
有能感
関係性
良好な人間関係
感謝
共感
思いやり
利他行動
高揚
意義
社会的責任
精神性
謙虚さ
大局的視点
非永属性の理解
複雑性
相対主義
内省的弁証法的思考
出典:私たちのウェルビーイングを作り合うために -その思想、実践、技術

個人-内の要因では、自身の内面の豊かさを認識することができているかがポイントとなります。以下の質問にYESと答えれる人は良い状態かもしれません。

  • 毎日活力が溢れている
  • 自分の人生を生きていると誇りを持って伝えれる
  • 何か夢中になってしまうものがある
  • 悲しいことがあってもすぐに立ち直る方だ etc

個人-間の要因では、あなたに関わる人々とどのような関係性を築くことができているのかがポイントとなります。以下の質問にどのくらいYESと答えることができるでしょうか?

  • あなたが窮地な状態で無償の支援を施してくれる他者が5人以上いる。
  • 職場以外に多様な人々とのつながりを持っている方だ。
  • 友人の話を聞いて涙を流したことがある。
  • 仲間の素晴らしい行動に対して心が震える。 etc

超越的の項目は、なんか難しそうですけど、つまるところ「私と全体」についての考え方のことです。私という狭い思考の中の物事だけではなく、私自身そしてその関係性を鳥の目線で俯瞰し、過去-現在-未来という時間をも拡張し、自身の死後における残すべき未来にまでをも思考を向けれる状態のこと。そして自身の社会的な意義、生きる意味、生きがいというものを独自の言葉で語ることができるそんな状態です。まさに賢者ですね。あなたはそのように思索を重ねていますか?もしくはそれについて語らう友人はいますか?

  • 使命ややり遂げたいことがある
  • 社会的責任を感じており、明確だ。
  • 自身と全く違う考えの意見を「」に入れて受け止める力がある etc

これらの項目は年齢層によって感じる項目も違うかもしれませんね。僕と同様の若者世代だと「超越的」な項目は、はてなマークがたくさん浮かびそうです。また学校や職場と言う画一的な人脈に依存している方々が多いと思うので、人脈が多様でない結果「個人-間」の箇所も想定しづらいのかもしれません。しかし「個人-内」であれば少しは創造性が働きそうですよね。だって自分のことなんだから。

人生100年時代と言われている現代社会です。しっかりと自身の内側にある大切なものを明確にし、他者とつながり、夢と希望を語り合える仲間と出会えるそんな人生の実りある秋(50歳-75歳)を迎えれるように頑張りたいですよね。そしてそのような行為があるからこそ、快楽の迷走に墜ちることはなく自身の幸福感を最大化することを可能にします。

海外でも注目を集める日本の「生きがい/IKIGAI」の概念

最近、海外では日本が生み出した言葉「生きがい/IKIGAI」が焦点に当てられています。この概念はウェルビーイングの要因ととても関連がある概念だと思います。我々の「生きがい/IKIGAI」を構成する概念は主に以下の質問の答えによって定めることが可能です。

  • あなたは何を愛しているか?
  • あなたは何が得意か?
  • 何によって稼げるか
  • あなたの何が世界から必要とされているか?
出典:日本セルフエスティーム普及協会

自分自身の「生きがい/IKIGAI」は何なのかを知りたい方は、この画像をコピーしてその上にポストイットをして自身の生きがい(ikigai)を見出しましょう。やり方は以下の通りです。

  1. ポストイットを貼る項目は青・緑・赤・黄の項目だけでOK
  2. 思いつくままに名詞や動詞を貼っていこう 例:運動をすること→緑(あなたが得意なこと)に貼り付ける
  3. 掛け合わせてできるものに円を書こう。 例 緑:運動すること 赤:健康寿命の延滞/QOLの追求 青:運動指導者
  4. あなただけの独自性のある生きがい(ikigai)に名前をつけて呼んであげよう。

上記の実施は現在の自分がどのように自分自身と関わる他者を幸福にできるかの気づきを与えてくれます。

私を事例に紹介していきましょう。私が人より得意としていることは様々な情報を仕入れ、それを自分で実践してみて、自身の1次情報まで高め伝えることだとします。それによって稼げることは、セミナーを実施すること/パーソナルトレーニング/集団指導/ブログを書くことなどが挙げられます。世界から必要されていることとして、健康寿命の延伸/QORの向上に紐づく産業が挙げられます。例えばフィットネスクラブ/パーソナルジム/健康経営を目指す中小企業/地方のサッカークラブチームなどです。愛に関しては自身のしていることに対して自身が一番愛してることと同様に、それを家族が心温かく支援してくれています。本当に安心安全の土台を作ってくれていつも感謝です。また私を支援してくれる友人も同様です。本当にありがとう。

よって「生きがい=高山裕基」が出現します。

この生きがいについてですが、僕の場合「高山裕基3.5」くらいを今生きています。つまり他者との関わりによって生きがい自体も上方修正されていきます。

  • 「高山裕基1.0」→Footballの歴史は戦術の歴史であり勝利と美学を追求する思想及び哲学の歴史でもある。Footballはその思想を現象化させる事に熱情を注ぐ指揮者と演者によって構成される。そんな熱情を注ぐ指揮者のような存在に私はなりたい。
  • 「高山裕基2.0」→その戦術や勝利や美学をピッチ上に現象化させるには、身体的な科学の力を応用した設計者(トレーナー)の存在が必要不可欠である。全ての身体知を勝利という目的のために統合し最適化させることができる存在になりたい。
  • 「高山裕基3.0」→身体的な科学を応用した設計者(トレーナー)の生産物はFootballerのみならず生きる全ての人間に及ぶ汎用性が高いモノであった。各個人の幸福の追求のために全ての身体知を統合し最適化させることができる存在になりたい。

というように。

このような内容については、親しき友人とお酒を交わしなが一緒に考えてワイワイ話すと楽しいです。別に正解なんて求めていないんですから、あなたの人生をあなただけの言葉で語り合ってください。

最後に

「お金を稼げば幸福になれる」というのはあるところまではであり、あるところまで行くとです。人間の性であるお金を稼ぐという行為が人々の間に呪縛として機能しないためにも、古びたwell-beingの概念に「さようなら」という言葉をかけてあげましょう。そして新たな幸福の形を自身の言葉で表現し名前をつけましょう。「生きがい」という人生の方位磁石を手に入れる事ができれば、真のwell-beingはすぐ目の前です。

参考文献 
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