「エモい。」の本質 

某有名コーヒーショップのスター○ックスにて勉強していると、おそらく20代後半であろう女性二人が同じSmart Phone画面を見ながら楽しく会話をしている。少し勉強の集中が切れた僕の耳に強く響いてくるそのワード、それが「エモい。」です。皆さんはこの「エモい」という若者言葉を聞いたことがありますか?

「エモい。」という若者言葉は、彼女ら自身の網膜に映し出された圧倒的な視覚体験を、彼女らが持ち合わせている言語で表現することはできないが、その湧き出てくる感情を抑えきれず、傍らいる他者に伝えずにはいられなくなり「言葉では言い表せないが、この対象を見て私の心が強く感じている、君もそんな感情の渦の中に存在するのか?」=「エモくね?」と共感を引き出している語彙として利用される場合が多い言葉であります。(高山独自の解釈です。)

そんな「エモい。」という若者言葉が今回のテーマです。その本質に迫っていきます。

目次

「エモい。」の条件

エモいの語源になった言葉とは


エモいという語彙の由来は音楽のジャンル「イーモウ(emo)」から来た説が存在します。この「イーモウ(emo)」は感情・情緒を意味するemotionalを略したもので、内的な現象がエモいという言語に紐づいています。感情が揺さぶられた時や、一言では何とも言い表せない時に幅広く用いられるようになったと言われています。また日本語の「えも言われぬ」という言語から派生したという説も存在します。

「エモい。」が加速する背景

「エモい。という言葉は、情報が加速している現代社会の中で生まれた言葉である特性から、感動体験を即時的に共有するという欲動とセットになっているのではないかと思います。

従来の技術では、動画や写真を撮り表現として物理化するまでに時間を要しました。あなたが遠足で山に登ったとしましょう。自然の中で自身が感じた感傷的な風景をインスタントカメラで収めます。そして、遠足から戻り写真屋さんへいき、インスタントカメラを渡し写真を現象してもらい、感動体験を友人や家族に共有するといった形をとっていました。

しかし技術が進歩した現代では、Smart Phoneで「何か心に感じてしまった」風景を写真に撮れば、その場で自身の感傷的な風景が物理化します。またSNSを通じて身近な他者に共有されます。その時に発される情報密度の高い言葉こそ「エモい」という言葉なのです。

体験・感情・物理化・共有という情報プロセスが加速する中、instagramやTiktokなどのSNSは、「エモい。」のバーゲンセールになっています。また、音楽など合わせてその情報を提供することによって、さらに自身の情緒的な側面を表現しやすくなり、他者は共感しやすくなっています。

ICT総研の調査(2022年度SNS利用動向に関する調査)によれば、実際に動画などを共有できるSNSサービスの利用者数および利用率は近年上昇の傾向にあります。2017年と現在の状況を比較するとその利用率は10%上昇しており、SNSの利用者は自身の生活の中でその利用のあり方を確立している傾向にあると言ます。

日本におけるSNSの利用者数/ICT総研


そして、その利用者における満足度や主な利用率を見ていくと、自身の刹那的な経験をインスタントに表現でき、共感を引き出す媒体として先ほど挙げたようなプラットフォームの満足度/利用率が高い傾向にあります。

主なSNS利用率/ICT総研
主なSNS利用者の満足度/ICT総研

Youtubeやinstagramのような動画をコンテンツにしたプラットフォームは満足度と利用率においても高い水準にあり、動画データーを簡便的に処理するテクノロジーとそれを簡便的に表現する場の構築に伴って、「エモい。」という現象はスケールしているように思われます。

時間があり、感情的・情緒的反応が速い若い世代は、身体感度が高く「他者の欲望を欲望する」という条件下で、「エモい。という現象そのものを体験したい」という身体的な反応(欲動)となり、この言語は多く利用されるように思われます。

現代における刹那的な情景

Instagramで「エモい。」を検索すると、その現象は多岐に渡ります。夕焼けの中の2人であったり、地元のゲームセンターであったり、雨の中の踏切であったりします。それはおそらく、個人の身体感覚に付随しており、人気の投稿のほとんどが「日々の中のちょっとした感傷的な出来事」であったりします。Smart Phoneが生まれた頃から存在する若者世代にとって、無意識に他者との間の中で共有したいと感じる「物理的に残したい景色」は日常の中に存在する傾向にあります。

そのような条件を一般的に適応させると、自身の身体感覚が「エモい。」の源泉であることがわかります。友人と交わした熱い会話をした場所。幼なじみと遊んだ公園。家族で楽しんだ古い遊園地。他者を含めた諸環境の中で身体という器が心地よさを感じその過去の経験と原体験が重なる瞬間こそが、「エモい。」という現象を生み出しているのではないのでしょうか。

では、あなたはどういう瞬間に「エモい。」を現象化させる心となるのでしょうか?

自然界はinstagramを超える「エモい。」のバーゲンセールス

刹那的な情景が幾度となく押し押せる環境が存在します。それが自然界です。時間・日光・自身の身体状況、心理状況に合わせて見え方が幾度も幾度も変化してきます。その都度「エモい。」を感じてしまうのです。

先ほど「物理化されたエモい風景」がinstagramに多く投稿されていることを「エモい。」のバーゲンセールスと比喩しましたが、そもそもinstagramでは自身の身体を介在させていません。させているとすれば、平面から映し出される他者の経験を心地よく編集した光学的な刺激であり、2次的な情報です。自然空間はまさに、身体機能をフルに使うことができ、情報を処理するレベルが2次情報のそれとは異なるのです。「エモい。」のビックバーンに出会えるののです。

例えば以下の写真は標高3000mで体験した「南アルプス・農鳥岳でとる朝焼けの中の私」です。

これを見るまでの道中は、闇の中でした。

深夜2時に標高2500m、南アルプス深層部にある熊の平小屋を出発します。自身のヘッドライトの明かりを頼りに歩きやすいとは言い難い登山道を歩きました。ある程度歩くと岩場に差し掛かり登山道なのか識別できなくなる状況と遭遇するようになります。GPS端末と地図の印を頼りに不明瞭な道を歩き続けます。深閑な闇の中で聞こえるのは山肌にあたる強い風や沢の微かな音そして自身の歩む足の音。そんな中進み続け3時間、やっと頂上に到着し朝日を迎えます。

自分の存在が世界から照らされているようでした。

「エモい。」、本当に「エモい。」

例えば、上の図は「南アルプス・烏帽子岳頂上で見る朝焼けの富士山」です。

こちらも日本最高峰の峠があるヤビツ峠小屋からスタート。早朝の3時から南アルプスの稜線をヘッドライトの灯だけを頼りに登ります。自身としても初めての南アルプスであったので、心も体もやや緊張状態、その緊張の糸が烏帽子岳頂上で切れます。圧倒的な富士の頂に対して、無意識に礼拝・礼讃。自然の畏怖を身体全体で感じた瞬間でした。

と、この二つの映像・画像だけですが、私の主観としては様々な感情が錯綜としています。特に慣れない登山道でのナイトウォークと標高2000m以上の低酸素状態ですので、心身ともに環境ストレスが加わっています。しかし、その蓄積された強いストレスが圧倒的な景観の前で強い快情動となり反動として押し寄せます。この時点では突発的な情動なのですが、この体験が刹那的で代替不能なものとなっているので、私自身もこの写真や映像を見るだけで、あの時の情動を小さなレベルで再度喚起することができ、心地良い体験として残存するのです。そして、また行動を喚起させるのです。

あ、つまりはエモいのです。「エモい。」のビックバーンなのです。

自分自身の「エモい。」を見つけよう

さて、高山裕基の経験による「エモい。」のあり方とは別に、ここからは皆さんに焦点を絞って「エモい。」を発掘していく術をお伝えしたいと思います。どのように「エモい。」と遭遇することができるのでしょうか?

自分自身の突発的な情動を映像や写真として残すことが「エモい。」の源泉に気づく機会を与えてくれるのではないかと思っています。「時間が止まる時」「身体が止まる時」そのような行動とエモいの情動はセットになっている時が多いです。僕のように29年しか生きていない生命であれば、その情動の喚起のあり方はまだまだ、非-経験的・身体的なのですが、歳を重ね、聡明さを備えた紳士・淑女であれば、自身の情動が喚起する現象は多様に彩られているかと思います。建造物・音楽会・歴史的遺産・スポーツ観戦etc 様々な社会集団の中で生きてきた様々な自身が記憶から喚起され、存在する対象の文脈と自身の存在や過去を重ね合わせる時にも、同様に「エモい。」を感じることがあるかと思います。

共感を誘うことはないかもしれませんが、自身の感情のあり方を明確にする上では、「なぜ写真を取ったのか?」「なぜ映像を残したのか?」はとても自身を知り得る上で重要なツールになる場合が多いです。

なのでまずは、様々な場所で写真などを撮って、一番身体が感じてしまった現象を言語化しSNSへ載せてみましょう。そしてその体験を他者に対して言語化してみましょう。何であなたが「エモい。」と心を震わせてしまうのかが明確になります。

❶ 様々な場所(自然・建造物・音楽会・歴史的遺産・スポーツ観戦)で感動した場面を映像や写真でおさめてみよう!
❷それをSNSに投稿してみよう!
❸その体験を通して感じたことを身近な他者と語らおう!

ウェルビーイングと「エモい。」

エモいという現象は、持続性の高い幸福度が伴う傾向にあると思います。自身も写真にあげたように、「エモい」と感じる対象を見ることによって記憶から過去の体験が引き出され、その時、強く感じた心の質感を思い出すことができます。食欲や性欲や顕示欲などの突発的な幸福度とは違う持続性のある幸福の重要性は以前「さよなら僕らのwell-being。幸福と手を繋ぐ資本主義のダーウィニズム」の中で紹介いたしました。

心地よく持続する傾向がある幸福について明確な場合、個人のwell-beingは様々な側面で促進されやすいかと思います。

日々の業務や役割に忙殺され、生き物らしさを失いやすい現代社会の文脈において、自身の身体を通して何かを強く感じ取る。そのような行動にこそ、Well-beingへのヒントが隠されているのかもしれません。

参考文献
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