この世のすべては空である

仏教における「空(くう)」の概念は、我々が生きるこの世界の本質を諭すものである。生物が外界から得た刺激をもとに脳で表現される「世界」が何たるかを真に理解すれば、ウェルビーイングは目の前だ。開こう、そして感じよう。すべてが「空」であるこの世界を。


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仏教における「空(くう)」の概念は、
人間のWell-beingを紐解く鍵となり得る。

「色即是空(しきそくぜくう)」、つまり、この世のすべてのものは「空(くう)」でありそれがこの世の真実であるということを示したお経がある。その名を般若心経という。この世のすべてが空と聞くと、虚無主義的なイメージや、終末思想のようなものが連想されるかもしれない。ところが、ここでいう「空(くう)」とは、いわゆる「空(から)っぽ」や「空(むな)しい」というものとは少し性質が異なる。仏教におけるこの「空(くう)」の概念は、人間のWell-beingのための強力なヒントになるかもしれない。

この世のすべては空である

「諦める」という言葉がある。夢や希望を断念するといったマイナスの意味合いで使用されることの多いこの言葉が、仏教を由来としていることはご存知だろうか。仏教用語では類語として「諦観(ていかん)」「諦念(ていねん)」などがあるが、驚くべきことに仏教においてこれらの言葉はポジティブな意味で用いられている。「諦観」は、「事態や状況を理解した上でこれ以上執着せず求めない」といった意味で用いられ、「諦念」は真理を諦観する心を指す。本質を見極め、受け入れる。それによって、余計な悩みや苦しみから自身を解放しようという、あくまで前向きな思想なのだ。

共有できない「赤」の孤独を受け入れることにより“開放”は始まる。

また生物学的に、人間は世界を直接見ることができないと言われている。それは、見ている景色、聞こえる音、かぐ匂い、感じる温度等が、すべて人間が目・耳・鼻・皮膚等の感覚器を通して外界から得られた刺激を電気信号に変換し、脳で表現されているものにすぎないからだ。1つの同じリンゴを複数人が見て認識する「赤」は、同じ赤色でも、厳密にはその個人にとってだけの「赤」であり、他者と共有することはできない。「赤」という概念自体も固定的実体ではなく、環境中における特定の条件自体に対して人が定義したものにすぎないのである。

この世のすべては空である

以上を踏まえて「空(くう)」の思想とは、「肉体も精神も実体はなく、全ては人間が考えた概念にすぎない。」「あらゆるものは関係の中で成り立ち、物質が存在するというよりも関係が存在する。」というような言葉で表すことができる。これは動的平衡の概念ともリンクする考え方で、科学が未発達の時代にこのような達観した考え方を生み出せるというのは、偉大の一言に尽きる。このような「空(くう)」の概念を意識した上で、もう一度日常生活を眺めてみてはいかがだろうか。

参考文献

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